小説風

分散化する社会

1.centralization

 

「別れよう」

そう告げたのは卯衣子のほうからだった。

電車のガラスに映る自分の姿は、まるで誰かに無理矢理上から吊り上げられているように足元が覚束ない。これでは卯衣子にそう言われるのも無理はない。

沢山の怒りを乗せた朝の満員電車の中でその時に言われたことをもう一度想い出す。

「あなたのような中央集権的な人間はもううんざり」

確かにそう言った。卯衣子は「中央集権的な人間」が嫌いなのだと。それは一体、どういった意味だろうか?政治的なスタンスを言っているのであろうか?彼女は平等を標榜した左派系の人間だったのだろうか?違う、そんな筈はない。一緒に神社にも行ったし、おみくじも引いた。日本人ならば至って普通の感覚である。第一彼女は資本主義を信奉していた。彼女は人生ゲームがめっぽう強かったし、上昇志向も強かった。ある日「あたし明日から会社に行かない、起業する!」と言い出したときは必死で止めたくらいだ。

ならば僕があまりにも「自己中心的」だったのであろうか?「中央集権的な人間」=「自己中心的な人間」と考えれば、少しは意味が通づる。しかしどうもしっくりこない。僕はそんなにも自分勝手だったのであろうか?確かに、自分でも無意識のうちに卯衣子を苦しめていたのかもしれない。モラハラをしていたのかもしれない。しかし卯衣子の言い回しが難解過ぎて検討がつかない。

そうこうしているうちに、電車が最寄りの駅に着いた。吐き出される怒りのリーマンたち。そのうちの一人が僕なのだ。少しでも肩が触れあえば一触即発の満員の通勤電車は、確かに現在の資本主義の歪と言ってもよいだろう。

一部の資本家や資産家が多くのサラリーマンを家畜のように使役し、疲弊させる。サラリーマンは「やりがい」とか「自己の成長」という言葉のもとに手綱を締められ、拘束させられる。

では相対する「共産主義」が成功したか?というと、これまた成功した国家は今のところ無い。必ず独裁政権が出てきて、これまたヒエラルキーを形成するのである。人間の「性」に沿っていないスタンスやイデオロギーというものは失敗するのだ。

改札をやっとの思いで出たときに、ふいに涙が出そうになった。

「卯衣子、教えてくれ!僕のどこが悪かったんだ?僕はそれほど中央集権的な人間だったのか?」

 

2.decentralization

 

くっだらない小噺はこれくらいにして、今年の流行語は「分散化(された)」だと思います。或いは「非中央集権化」「decentralized」。

CtoCの取引が拡大されて、(例えば「メルカリ」とか)素人でも世の中に認知される時代がやってくるでしょう。世の中というよりは、「小さなコミュニティの中」というべきでしょうか?そのようなコミュニティがクラスタのように重層的に重なってくる社会になるでしょう。Aというコミュニティでは目立たないけれどもその人はBというコミュニティでは人気者だった、みたいな。

僕は素人が活躍できる時代がやってきた、と個人的には思っています。この状況をに対してとてもワクワクしています。自分のメディアを一つでも持っておくと良いことがあるような気がします。

 

 

 

 

 

 

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